在日韓国人の結婚相談所 980名在籍 No.1 無料簡単登録

お気軽にご相談を!
<<  2024年11月  >>
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
ブログ
婚活工房 公式Facebookページ
婚活工房 代表 広瀬哲三 Twitterアカウント
アクセス

ブログ

帰化(国籍変更)を考える  [2018年02月26日]

帰化(国籍変更)を考える

先日、母親名義の一軒家が老朽化したので、更地にして売却することになりました。

ところが、その不動産を購入した時の住所から移転しているために
83歳という足の悪い高齢の母は、法務省に行き、必要書類を揃えなくてはいけないのです。

2年前に外国人登録法が撤廃になり、法改正により、管轄が区役所から法務省になったのです。

日本国籍であれば、役所の手続きで問題はないのですが、外国籍であるがために
とても不便になっています。

母は、かねてから帰化申請をして、日本国籍を取得するかと悩んでいました。

私の考えでは、母がこの先、年齢を重ねて、足腰が悪くなり、認知症にでもなれば
残りのいくつかの不動産を売却、または将来的に相続する場合、手続きが面倒になるだろう
と考えました。

既に、父は亡くなり、母と四人の兄弟がおりますが、母と私だけが、現在でも韓国籍のままです。

母は、私を残して帰化することはできないと言いました。

この先、戦争が起こるやら何があるやら分からないのです。

母親としては、息子一人だけを韓国籍で残してしまうと、有事の際には、生き別れになる
可能性もあると心配しているのです。

私は、頭を整理して、苦渋の決断で、母と一緒に帰化申請をする事を決意しました。

ところが、今までの人生を振り返ると、涙があふれて、夜も眠れないのです。
まさに、私にとって、帰化は断腸の想いです。

母に、私の気持ちを伝えたところ、同じ気持ちで泣いていました。

母は、
「正直言うと、悔しい。私の両親は、お坊ちゃま・お嬢様育ちの裕福な両班で、小さな頃から
田畑を売って、教養を習っていた程なのに、夜逃げをするように日本へ渡ってきた。
最後は、部落のぼろい布団のなかで息を引き取っていった。」と言いました。

祖父は、達筆な筆で、あらゆるものに漢字や漢詩を書いていたようで、母が小学生の頃、
学校の先生が、その博学にとても驚いたそうです。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
当時、朝鮮総督府の政策として、両班の土地・家屋をただ同然の価格で買収していたのです。
一般の農民たちから土地を奪い取れば百姓一揆になるものの、特権階級から奪っても
裕福を妬む者がいるので、一揆は起こらないのです。
当時の朝鮮総督府は、「不可能なことは女を男にする事だけ」と言われるほど、
ものすごく強い権力がありました。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

母親の立場からすれば、

両親が元々、韓国のお屋敷に住んで、働きもしない身分だったのにも関わらず、
いきなり、土地・建物を奪われて、夜逃げをしながら、住むところもなく、
日本へ来て、乞食のようにリヤカーで缶や鉄くずを拾い集めて生計をたてる姿を
目の当たりにしているので感情がこみ上げるのです。


一方、亡くなった父は、

韓国の故郷・全羅南道で生まれ、裕福ではないので、幼少の頃は、釜山の港町で
旅館の客引きなどをしていたそうです。

ある時、親戚のお兄さんから、「ここにいても仕方がない、一緒に満州に行こう」
と言われて、日本の最高とあんる軍隊・関東軍に公文書を馬車で運ぶ仕事に就いたようです。

職場では、食事の際に、大人から、ご飯の上に唐辛子をバッとかけられ、
「おまえの国では、こうしてご飯を食うんだろうっ!」と言われて、皆一斉に大声で笑われて
子供心に傷ついたというエピソードを聞きました。

しかし、父の認識では、
「日韓併合は合法であるし、おおむね上手くやっていたので大きな問題はない」と言っていました。

どこの社会でも、心のない大人はどこにでもいる。
それよりも印刷工場の〇〇社長には、とても可愛がってもらいお世話になった
と感謝の気持ちを忘れずにお名前を覚えていました。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

父は、私が大学生の頃、「お前は、これから就職もあるし帰化をしろ」と言いました。
知らない間に申請書類を揃えて急に、「法務省に行くから一緒に来い」といわれて
無理矢理に面接に行きました。

面接官から、「一人で帰化申請は可能ですが、家族全員で申請しないと不許可に
なりますよ」と言われて、結局、父は帰化をする気がないので、そのまま諦めたのです。

私にしてみれば、その時は民族意識のかけらもなく、むしろ日本人になれば、スッキリする
かもしれないという考えもありました。しかし、逆に、気持ちの整理がつかなかったので
そのまま国籍を変更するのは納得できなかったので、ラッキーでした。

そこから、民団の学生会に参加するようになり、韓国の銀行に就職をして、民団で就職しながら
徐々に韓国の文化を習得しながら、アイデンティティーが確立してきたのです。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

私の兄弟や、知り合いでは、特に何の感情もなく、事務的に帰化申請をされる方も多くみています。

自分としては、本国の文化や在日の歴史をはじめ、在留資格の法的地位などあらゆる事を学びながら
半世紀以上、人生経験を積んできております。

何日も涙を流しながら、母と相談した結果、「やっぱり帰化申請はやめよう」という事になりました。

何かもっと決定的な大きな障害などがない限り、腹が決まらないのです。

私は、在日という重い十字架を背負って、差別や偏見と闘いながら、これからも生きていくつもりです。

/////////////////////////////////////////////////////////////
婚活工房 代表 広瀬 哲三
業界最大手 NOZZE加盟店 結婚相談所
電話:03-3699-1522(行こう!夫婦)
http://k-kobo.biz/
 
→ 在日婚活用プロフィール 登録画面へジャンプ! (初期費用ゼロ)
 
 
 

ソウルでつくる格安「豪華結婚アルバム」事業もやってます。10万円代~
➡ <youtube>
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
韓国

北朝鮮

 

 

 

 
 

 

 

 

 

Comment(0) | Posted at 19:33

この記事へのコメント一覧

コメントの投稿

お名前*
メールアドレス
URL
件名*
内容*

※画像の文字を入力してください。(大文字小文字を区別いたします)