<脱北者支援センターVol.7>
兄をドンチョル(仮名)と言い
妹をコンヒ(仮名)と言います。
しばらくすると
ということになり
昼間は、知り合いのキムチ工場で
働きながら
日本の文化や社会に馴染めず
その間、貯めたお金で
大学に通いだしたのです。
日本の会社へ就職して
リーダー的な存在となりました。
一方、妹のコンヒは
夜間高校では、生徒会長になり
国際交流クラブで
積極的に活動をしていました。
卒業後は
大学に通いながら
発展途上国に学校を作るボランティア活動
で海外を飛び回り
その一方で、
レストランと不動産屋を経営しているのです。
北で貧困に喘ぎながら
途中から学校に通えない体験をしているので
途上国の子供たちが学校に行けない辛さが
分かるから放っておけないのでしょう。
自分は化粧もせずにお金を切り詰めて
せっせとNGOで支援活動を続けているのです。
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今では
都内の高校を訪問し
あちこちで講演をしているようです。
北から命からがら脱出してきて
現在に至るまでの苦労話や
途上国での支援活動を説明しながら
若い高校生たちに
「あなたたちは恵まれているのだから
もっともっと夢と希望をもって頑張りなさい!」
と叱咤激励をしているのです。
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最初の3年間は
2人とも
いくつか就職先を紹介しても
なかなかうまくいかず
すぐに辞めたこともありました。
就職先の経営者からは
クレームがくるので
私とぶつかって
怒鳴りあった日も幾度かありました。
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しかし、入国してから、既に10年が経ちました。
先月、ドンチョルからいきなり電話が来て
「お兄さん、妹が最近、レストランを経営
しましたから、一緒に見に行きましょう」
と言われました。
数年前に新車で購入したという
トヨタのランクルで迎えられて
都内で経営するレストランで
食事を御馳走になりました。
話を聞いてみると
ボランティア活動で知り合った方に
経営権を譲られたそうです。
発展途上の国から
人材を派遣して
アジアンレストランという形で
うまく経営しているのです。
その時、ふたりから
「日本に来た時は、お兄さんに
電車の切符の買い方から教わりました。
その後も、就職や日本語教室など
何から何まで支援して頂きました。
このご恩は一生、忘れません。
今日は、ご馳走致しますので
たくさん召し上がって下さい」
と言われ、
嬉しさのあまり
涙ぐんでしまいました。
その瞬間、
入国してから今までの苦労のエピソードが
走馬灯のように思い起こされました。
ドンチョルが気を失って自宅で倒れているときに
遠隔操作で救急車を呼びながら
病院に駆けつけたこと。
在留資格を変更するのに入国管理局へ一緒に行って
係官に、訴えながら哀願したこと等々…。
数えれば、きりがありません。
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日本に来た時は
土砂降りのなかの捨て猫同然のふたりが
今では、すっかり
人前で講演をするような
立派な姿になり
日本社会をはじめ世界のあちこちで貢献しているのです。
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人の世話というのは、苦労の連続であり、
決して、楽なことではありません。
しかし、
人道支援のボランティアは
お金にはかえられない
かけがえのないものだと
つくづく思いました。
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このような支援の輪が広がり
世界各地で人々が平和で安定した
豊かな社会を構築して
幸せになってほしいと切に願うものです。
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