在日物語(第22話)木浦の母・田内千鶴子さん <韓国の孤児救世主>
私が心の底から尊敬する人物は
日本人女性の田内千鶴子さんです。
日本のテレビで
ドキュメンタリーとして
幾度となく放映されていますが
見るたびに
滂沱の涙を流します。
高知県高知市若松で生まれた
田内さんは、1938年、
日本統治時代の
朝鮮の全羅南道木浦市で
尹致浩さんと結婚します。
夫と共に、孤児救済のために
共生園で働きますが
韓国戦争で夫が行方不明になりました。
その後も孤児救済のために尽くし、
3000人の孤児を守り育てたのです。
1965年韓国文化勲章国民賞を受賞し、
1968年に木浦市で他界されました。
木浦市では市民葬を行い、
3万人が出席したそうです。
現在共生園はご長男の田内基さんが
園長をしているそうです。
日本でも未だに孤児院がありますが少ないのです。
しかし、韓国には、孤児院がたくさんあります。
理由は、日本と違い
法的に子供が出来た際に掻把して
おろせないのです。
つまり、子供ができたら産むしかないのです。
様々な理由により
子供が捨てられるのです。
その行き先が、孤児院なのです。
国によって考え方が違い
韓国では
子供をおろすこと自体が殺人扱いのようです。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
ご長男が生まれても
他の孤児と全く同じように
差別なく扱ったようです。
この孤児院を出て立派に働いていた人は
オモニ(お母さん)である田内さんを偲び
韓国の全国から
弔問に訪れたそうです。
。。。。。。。。。。。。。。
差別なく扱ったようです。
この孤児院を出て立派に働いていた人は
オモニ(お母さん)である田内さんを偲び
韓国の全国から
弔問に訪れたそうです。
。。。。。。。。。。。。。。
田内さんの人生は
つまり、
在日韓国人と同じパターンの人生を歩んでいるのです。
しかし、当時の韓国では
反日感情というのは
筆舌し難いほどです。
今、現在、これでも
韓国の反日感情というのは
かなり、減少方向に進んでいるのです。
当時の韓国で日本人が生きていくのは
それだけで、至難の技です。
それを幾多の苦難を乗り越えながら
どこまでもどこまでも
貫いたこの女性は
本当に偉大な方です。
差別を乗り越えて
社会的な弱者である
孤児の人たちを立派に育て上げた
この人こそが
心から尊敬に値する女性です。
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日韓関係は、よく
ガラス細工に例えられます。
つまり、作りやすく壊れやすいのです。
韓流ブームがあったかと思いきや…
独島(竹島)しかり、歴史認識問題や従軍慰安婦等々…
しかし、田内さんが貫いた
日本人と韓国人が共に生きる精神を引き継ぎ
微力ながら
祖国韓国と母国日本の
架け橋的な役割を果たせればいいなと考えております。
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